2017.02.05 O.A.
大ヒットの裏に挑戦と失敗の歴史
尾道市は、江戸時代、北前船(きたまえぶね)が運んでくる良質のスルメイカや昆布が集まる港町として栄えた場所。そんな町で生まれたのが、スルメイカを天ぷらにした「イカ天」。
全国で11社あるイカ天専業メーカーのうち、尾道市はなんと5社!中でも、イカ天づくりをどこよりも早く機械化したのが、1961年創業の「まるか食品」です。それまで、スルメイカをうすく伸ばすため、手で回していたローラーを何個もつなげてオートメーション化したのが、創業者の川原会長。周りのイカ天メーカーが一目見るため飛んできたというローラー機。その原理は、現在も変わらず使われています。1枚1枚、形や水分量が違うスルメイカを、ローラーの力加減を絶妙に調節して、スルメイカをおよそ4倍にも伸ばします。
創業から8年目。ローラー機につづいて機械化したのが、およそ10メートルのフライヤー!油の温度を高め、低め、高めの3段階に変えることで、イカ天の衣をサクッと揚げることが出来るんです!
薄くきれいに伸ばしたスルメイカをサクサクに揚げたまるかのイカ天は大評判!おつまみだけでなく、お好み焼きのトッピングとしても人気となり、天かすとともに広島県内のお好み焼き店でも使われるようになりました。
さらに、のりを天ぷらにしたのり天の生産も始め、商品バリエーションも豊富に!1980年代には、好景気の波にのり、着々と売り上げを伸ばしていきました。そんな中、開発したのが「新短冊のイカ天」。タラのシートにスルメをまぜた低コストで安定供給できるという新短冊。これが時代のニーズに合い、バブル崩壊後、周りのイカ天メーカーが不況であえぐ中、最高売り上げを記録!その勢いで、美ノ郷町に新工場を建築、大量生産のために社員も40名増員しました。しかしこの後、予想外の出来事が・・・
新商品開発のために建築した新工場でしたが、完成後すぐに、旧工場が火事を起こしてしまいます。そのため、新工場でこれまでのイカ天をつくることになりました。ところが、慣れた設備でないため、これまでの味が出せなくなってしまい、売り上げが低迷してしまいます。さらに追い打ちをかけるように、時代は食の多様化が進み、売り上げはさらに低迷・・・
状況を変えるべく、当時専務だった息子との社長交代を決断しました。
「若いうちに失敗しないと1人前にならない」この思いを受けた新社長は、夢を実現する工場にするため新たな挑戦をスタートさせました!
新社長が打ち出したのは、お花見・お盆・年末年始といったイカ天が売れるピーク以外で売り上げ向上のための戦略。パッケージ変更などの毎月の新企画、そして、年3回の期間限定新商品を発売すること!出来上がった商品は、コーンポタージュ風味、こくうま坦坦風味、トマト&バジル風味など!最初の2、3年は、目新しさで売り上げにつながったものの次第に停滞・・・しかし、あきらめることなく新商品の開発を続けました。
期間限定を始めた8年目に「レモン風味のイカ天」を広島県の観光プロモーションに合わせて開発。ターゲットは、従来のおつまみのイメージとはほど遠い若い女性にしました。発売後、お土産店から「ぜひ定番商品で発売してほしい」という反響があったのです。この声を受けて、商品をより女性向けに見直し!女性スタッフの意見も積極的に採用しました!こだわったポイントは、噛みちぎらなくていい「小さめの一口サイズ」、さっぱりとさせるため「レモン味を強めに改良」、さらに、女性が思わず手にしたくなるような「かわいい手書き風のパッケージ」!
こうして出来上がったのが、「イカ天瀬戸内れもん味」。発売後から徐々に、女性の観光客を中心に話題となり、ブログ・SNSなどを通じて口コミで全国に広がり大ヒットしました!2015年には、日経トレンディの「ご当地ヒット大賞」を受賞!1か月の出荷数10万袋が大ヒットと言われるイカ天業界で、異例の50万袋を達成しました!おつまみのイカ天から、お土産のイカ天に方向転換したことが大ヒットの要因となったのです!
会社名 | まるか食品株式会社 |
---|---|
業種 | 製造業 |
事業内容 | スルメフライを主体に、海産珍味およびスナック類の製造販売 |
代表者 | 代表取締役 川原 一展 |
従業員数 | 120人 |
所在地 | 広島県尾道市美ノ郷町本郷455-10 |
お問い合わせ | TEL0848-48ー5585 |
ホームページ | http://www.e-maruka.co.jp/ |